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なぜ盲腸はあってもなくてもよいのか

役に立たないものの代名詞のようにいわれる盲腸ですが、本来は重要な機能を持っています。

食物が胃から小腸を経て大腸に達すると、盲暢を含めた大りによって構成する方式は、RCA方式と呼ばれていますが、そのほかにも、様々な研究がされています。

 

三色蛍光面が、点のかわりに細い線になっているものは、クロマトロン式受像機と呼ばれています。シャドーマスクのかわりに、色選別グリッドという細い格子があります。この方式は、多くの電子ビームが蛍光面に当たるので、色がより明るくなります。

 

また、トリニトロン方式というのも開発されました。これは、電子銃が一本だけで、光点が線状になっているものです。

 

 

 ゴルフボールの凹凸はなんのためにある

球技にもいろいろありますが、ゴルフは卓球と並んで、最も小さい球を使うスポーツの一つでしょう。

 

さて、このゴルフボール、表面にたくさんのへこみがつけられています。

 

このへこみは英語でディンプルと呼ばれますが、だてについているわけではありません。このへこみがボールの飛距離に大きく関係しているのです。

 

クラブで打たれたボールは、回転しながら飛んでいきますが、このとき、ディンブルが空気の抵抗を減らす効果をもっているのです。

 

しかも、ボールのまわりの空気の流れを揚力に変えるはたらきかおりますから、ボールの飛距離はぐんと仲びます。

 

ゴルフメーカーの実験によると、ディンプルのあるボールと表面がなめらかなボールとでは、飛距離が三倍以上も違うそうです。

 

平安時代になぜ女流文学が花開いたのか

して宮廷の貴族女性たちの問に広がり、定着したことが大きな要因ます。

 

当時の社会では、男性は漢字を常用しており、文字が読み書きできるのは、貴族、僧、神官など一部の階層に限られていました。それが女性は平易なかな文字を使用することによって、男性より一歩先んじて文学に関心をもち、作品を書き、鑑賞する上うになったのです。

 

か々文字こ~易さか女流文学の洗練をうながしたことのほかに、当時の女流文学者の出身が中流貴族だったことも見のがせません。これは京都にのみ居勺いている上流貴族と違って、受領(地方長官)程度の中流貴族は地方に任官されることも多く、彼女たちは父や夫とともに旅をし、見聞を広げ、豊富な体験をして文学の糧を得ていたものと思われます。

 

武士にはなぜ○兵衛、○右衛門が多い

柳生け兵衛、石川五右衛門」という名前は、時代劇でよくある名前です。

この・右衛門という名前は、平安時代の兵制からきているのです。

 

平安京を守る兵士には、令国から身体強健で弓馬の術の優れている青年を選び、配置しました。そのシステムは、まず大き近術府と外衛府に分けら札、近衛は左近衛、右近衛、外衝は衛門府~梅楽府とに分けられました。そしてざらに衛門府が左衛門、右衛門、兵衛府小左兵衛、右兵楽に分かれてぃ~しか。

 

選ばれた青年たちは二半交代言槌役につきましたが、かれろはいればエリートです。故郷にもどっても、その名誉から、名前で呼ばれるより、その兵制名で呼ばれるようになったのです。

 

これが言兵衛二つ右衛門のルーツです。

 

 

ちなみに、男子の名前で長男から順に太郎、二郎、三郎とつけてゆくのは光孝天皇がそ

のはじまりで、三人の子どもを太郎、次郎、三郎としたと記録にあります。いまではすっかり庶民の名前になっている名前ですがく天皇家で最初につけられたとはおもしろい話です。

 

桜が咲くとお花見をするわけは

現在、私たちは桜の季節になると競ってお花見の宴を開きます。桜はもはや、たんに桜であるばかりでなく、日本のシンボルとなっているといっていいでしょう。

 

桜斑轍るの加早入ぶその散り際の潔さと憐れな風情が、しばしば武士の生き方の理想と重ね合わされてい圭すが、日本人の桜を見る風習はかなり占く、平安時代までさかのぼることができます。

花を見て楽しむという風習は、そもそもは中国の詩文からきており、安貴族が歌を詠む

対象として桜を観賞したのが、お花見のはじまりです。

 

ちなみに、桜が観賞される前には唐文化の影響で梅の花が貴族たちの好みであったようで、「万葉集」では梅の花を詠んだ歌が桜の歌の三協以上もあります。

 

こそんわかしゅうそれが[古今和歌集]になると、「万葉集」とは逆に桜の歌が梅の歌の倍以上になり、平安貴族の好みの変化にともない、お花見とい乙風習が定着していったことがわかります。

桜は中世の修験道の発達と結びついて、山岳信仰とともにいい速度で全国に広かってゆき、後の江戸時代になって武士のシンボルとなっていったのです。

 

もっとも、平安時代の庶民は桜を歌詠みの対象としでではなく、より実用的に桜の咲く伴子を見で、その年の農作物の画一匹二不作を占っていました。占いとしてのお花見が、庶民のお花見のルーツなのでダ。

お花見が般巾民のレクリズーションとなっかのは、江戸時代も元禄二六八べ~。ヒ○四

年)のダミーですが(落語の八つあんや熊さんもお花見交しました)、それ以前からずっと~本人は、桜の花に特別な感情を抱いていた、ことは聞違いありません。

 

「乾杯」という習慣はいつごろから

酒席では「乾杯」が常識です。いまでは円常生活の中に、あたり前のようにとけこんだ

「乾杯」の習慣は、いつごろから、われわれの中に根づいたのでしょうか。

 

これについては、おもしろい

 

 英和親条約の協定の後、英国は特派使節のエルギン伯を来~させました。通商の約款を補足するためでした。

 

一行は、~本側との交渉のため、井上信濃守等六大の幕府の条約委員を招きました。そして会談が終わり、晩餐となりました。

食事がすむと、エルギン伯は、日本側の人々に向かって、イギリスでは元首の健康を祝して杯を交わす習慣があるので、ここでひとつ、そうしたいのだがと提案したのです。

 

当時の日本人にとって、これはまるで初めての体験だったのです。しかし、礼を失しないように、幕臣たちは、これを理解しようとしました。

 

そして、一行の中でもきわめて謹厳で大まじめな井上信濃守が、会話が切れて座が静まり返ったときいきなり立ち上がり、高い声万「乾杯」をし、おごそかに着府したしてす。

 

これには、エルギン伯はじめ’参会者も耐えきれず、どっと笑い出しました。

 

れはイギリス側の感想ですから、厳粛に儀式を行った日本側が、どういう受けとめ方をしたかはわかりません。

 

しかし、このかなりこっけいな「乾杯」の後で、目本の酒席てには確かです。

 

 

 

金ボタンの裏にある穴はなんのため

この金ボタンを裏がえすと、二つの小さな穴があいています。

 

この穴は、金ボタンをメッキするときのためについているのです。ボタンをそのままメッキ液につけると、浮き上がってうまくメッキできません。

穴をあけておけば、ボタンは液の中に沈んで、スムーズにメッキされるというわけです。

 

二つあいているのは、穴の中に入ったメッキ液が流れ出やすくするためです。

 

背広についているえりの穴の起源

背広の左のえりのボタンホールは、現在では穴かがりだけ、反対側のえりの第一ボタンもなくなって、装飾的なものになっていますが、昔はこのボタンをかけて詰めえりのようにして着たのです。

 

ところで、このボタンホールには「フラワーホール」という優雅な名がついています。一九世紀のダンディたちが胸に花を飾るとき、花をさしたのがこの穴なのです。

 

「リーゼント」の名前の由来

ちょっとツッパツだ若者のあいだで人気のある、ポマードをたっぷりつけて髪を後ろになでつけたあのスタイルです。

 

リーゼントスタイルが最初に流行したのは一九三三年ごろのイギリスです。その名前はロンドンのりIゼントストリートからきています。街路のゆるやかな力ーブに、このヘアースタイルのラインをたとえて、この名がつきました。

 

 

客船の出航時刻とはどの瞬間

ドラが鳴り、色とりどりのテープが舞う客船の出航風景は、いかにも送る人と送られる人のコントラストを浮き立たせて、風情のあるものです。

 

ところで客船が岸壁を離れるまでには、なにしろあの大きな図体ですから、けっこう時聞かかかります。

 

時刻表を見ると、長距離フェリーの出航時刻が記載されていますが、この出航時刻の定め方にも何か決まりがあるはずで

 

船が出航するまでの手順を考えてみましょう。

まず船出にはつきもののドラが打ち鳴らされます。これは別に出航の合図ではありません。

出航時刻が近づいたので、乗組員と乗客以外の人は下船してください、という合図です。

 

そしてタラップがはずされ、船と岸壁とをつなぐローブがはずされます。

 

このとき、船は完全に陸とは切り離されたわけで、これが出航の時刻なのです。

 

つまり、船の出航時刻は、岸壁につながれているロープをはずしか瞬間ということになります。

 

また、大型タンカーのように、岸壁から離れて停泊したままの船の場合は、錨を上げたときが出航時刻となります。

 

ちなみに、船出につきもののテープの由来ですが、これは意外と歴史が新しく大正時代

にサンフランシスコ在住の日本人が考支出したものです。

 

一九一五年にサンフランシスコの万国博のとき、日本のある商店が出品した包装用の紙テープが、大量に売れ残ってしまいました。

これに目をつけた森野庄吉という人が、港で「テープで別れの握手を」といって売り出したところ、たいへんな人気を呼び、一般的な習慣となったものです。